その2 人の3倍働く
川原さんは15歳で上京し沢山の仕事を体験して、多くの人とつながり、多種の仕事に携わり、自分で学び、
人に教えを乞い、人の気持ちや、付き合いを大切にしながら仕事に専念してきました
15歳で寿司屋・車の修理工場・タクシーの運転手・建具屋・経師屋36歳までコバヤシを最後に帰省
私の記憶では、朝は牛乳配達を終わってから、当社の仕事を一日終え、夜は襖の張替、休日は経師屋さんに
付いて壁紙・絨毯の敷きこみ・カーテンの施工を手伝いながらインテリアの仕事を覚えた事です。
朝から晩まで人の2倍の時を働き、後の1倍は気・心働きが加算されて、人の3倍働いた事になります。
東京で結婚し子どもを授かり、会社の社宅で暮らしながら、奥さんも私の子供の守りなどの仕事で一緒に共稼をして
仲良く暮らしていました。その間に生まれた長男は東京で漫画家として活躍、次男は建具部門を、家業を継いだ3男に
社長を譲り、現在は後見役として夫婦で仕事をまだまだ支援していました。
自分の仕事だけではなく、地域の商工会の役員をしたり、地元での多くの人との交流で活躍されいる様子がありました。
それもこれも東京での勤めが有ったからと振り返り、感謝の言葉を頂きましたが、こちらも良く働いてもらい助かりました。
昔の時代もアルバイトは認められていなかった筈が、私の父親である創業者が、川原さんの頑張りを見て、感心して
会社の倉庫で襖の張替をしても良いよ、車も使ってよいよと許可を出したようです、双方が響き有った結果と思います。
そんな事で、他の店員さんの手前もあり、熱が有っても決して休まず、誰よりも沢山仕事したと懐かしく振りかえりました。
私は会社で良く若い社員に川原さんの事例を話しています、今の時代は2倍も3倍も仕事をすることは空言になりますので
人の1.2倍仕事をすれば、普通の人は0.8位しかしないので、その差は1.5倍になる、そうすれば周囲が評価をするし、
なによりも自分が仕事を楽しい、うれしいと思うようになるので、頑張んなさいと話をしています。
今の時代はとても豊かになり、満ち足りた生活の中では,ハングリー精神がある人を見かけることは多くは有りませんが
昔はよく貧しさから抜けだそうと必死で、私も朝早くから夜遅くまで、目が黄色くなって何時倒れてもおかしくない位に
自分を酷使した時代を乗り越えて現在に至りました。振り返ると良くやったねと頭をなぜて褒めてやりたいほどですが。