その1. 街を歩くと多くの様変わりを見て驚く、そのスピードと内容の内容に驚くばかりなのです。
商店街の中でシャッターが閉まって、間もない店から、長年閉まっている店が、年々増えています。
その店頭には、
・「長年ご贔屓頂き有難うございました、この度閉店することになりました。」
・「半世紀にわたり~~高齢の為残念ですが閉店することになりました」
パン屋さんで老夫婦で美味しいパンを焼いてご近所のお客さんに喜ばれている美味しいパン屋さんでした
閉店挨拶の張り紙には、寄せ書きで、残念とか有難うとか、沢山コメントが書かれていました。
ご主人夫婦の人柄と、パンの味が愛されていた事が解りました。
・「地域開発の為閉店致します~~」地上げ屋の意向で、時代の流れと受け止めてでしょうか?
・何の表示もなく突然閉店している店もある、チイェーン店で地域住民との交流が無いからか?
その結果が街の再開発の加速につながつている。その逆で再開発が有るから閉店なのか、色々原因は有ろうが
駅前から四方へ伸びる商店がなくなり、駅前にはマンションが乱立している。
駅はマンションとマンションの中に埋もれてしまう様相になっている。
都内のマンション価格は高騰をつずけていたが、頭打ちの報道も有り、またこれで計画されている建築が
完成すれば、街の変化は落ち着き、ベットタウン化してしまう気がする。
その2 お墓の空き地が年々増えている
年の瀬お墓の掃除を腰を痛めたので自分で出来ず、長男夫婦に頼み31日に同行した。
私は何もできないので、お掃除が終わるのを待ってお線香をと水と花を供えてもらい
「今年も色々あつたが、家族みんなが成長し良い1年を過ごせました。新年には皆でお墓参りに来ますよ」
と手を合わせお参りをしてきた。お墓に声をかけるのは親がしているのを見て私には出来ないと思っていたが
自分がその年回りになると出来る事だと解った。
それを聞いている息子夫婦は、やはり気恥ずかしい思いで、出来ないでいるが、私がお墓に入ったら
同じ様にお墓に向かって、話をするのでしょうか、口が重いいからしないのかな?そんな事を考えると笑える。
そのお寺へは10年ほど前に松戸の八柱霊園にあつた墓を、遠方で行くのが大変なので戸越に墓を移動してあり、
自宅から10分でお墓に行けるので、移転しておいて良かったと思う訳です。
その戸越のお寺だけではないだろうが、墓終いなのか空地がどんどん増えてゆく、これでは檀家が減り、お寺さん
も運営が大変だろうが、これも人口減少と高齢化の悪影響で有る事は間違いない。
その3 廃止されることが加速している
年賀状終いの挨拶状が増加、時代の風潮と年齢的な負担、会社の省力化ではあるが、一律ではなく、相手を選んで
年に一度の近況報告と、安否確認の為に年賀状は必要ではないかと思う。たいそう手間が掛かり大変な作用だが
頂いて、ほっこり安心できる年賀状は残しておきたい日本の良い習慣だと思うのです。
年末年始の贈答取りやめ、カレンダー配布も激減。カレンダーは頂くものではなく自分の趣味で買うものになってる?
年始回りだけはされてるところは多いが、これは新年の商売に影響が有るからほとんどが従来通り行っている。
自分が82歳になつた事もあり、親しい人、恩人、の得意先訃報が多く届く年でした。
殆どが家族葬で済まさせれてからの喪中はがきで知らされる、これも時代とは言いながらお顔を見て
お別れをすることが出来ないのは悔やまれてならない関係の深い人もおられる。
何末に際してあれこれ思うことが多い2024年でした。
いつ何があつても可笑しくない年齢なのでで、怪我、病気には細心の注意で生活をして行きたいと思う年末でした。
くる年2025年が天災、人災がなく平穏な1年を過ごせますように願ってやみません。