歩ける、普通の姿勢で、普通の速度で。
腰に手をあててかばいながら、そろそろと、足元を確認しながらのこの1ヶ月半だった。
腰痛初体験で、不自由な制約の掛かる日々を過ごして、あまりに長引くので、このまま
の生活が続いたらとの恐怖感をも感じていた。
これが年老いた時の体の動き、頭の動きなのだろうと考えると、行動範囲、出来る事、
速度、すべてスローな生活になってしまう。それを覚悟しないとならない時が必ず来る
のだろうが。
10年15年経過してからも、今の様に取り戻した健康状態で動きまわる様なら、まさに
怪人ではないか。怪人にはならないだろうが、出来る事なら毎年少しずつ、自然な
経過で衰えれば、自分も周囲も違和感や苦痛を感じないで下降線を受け入れられたい
のだが。その成否は10年20年後でないと検証できないので、自分で見極めたいと思う。
人一倍健康的な思考と行動で、日々過ごせていたことを、改めて有難い事だと再認識。
この感動を記録しておかないと、自分の分際を忘れて又キャパを超えた事をすると、
痛い目にあうぞと、自分に言って聞かせて、心は自粛中、体は全快しかけている。
普通に歩ける歓びを、こんなに感じる人は居ないのではないかと思うと、この感情を
有難く思い密かに、嬉しうれしと、ほくそえんでいる。
と云う訳で、朝の林試の森公園での体操、ゴルフ、歌のレッスン、仕事、家庭の整備、
料理、ぬか漬け、全部復調した。
駅のエスカレーターも左側に動かないで乗る苦痛も解消し、右側を追い越して昇降する事も
難なくできて、時間短縮だ。「そんなに人生急いでどうするの」と云う天声も聞こえるが。