今年の年賀状に気掛りな文面がありましたそれは、足腰が弱る、外出しなくなったと云う文言で
今年はOB・OG訪問をしようと心に決めていました。
そんな折に47年勤務して、夫婦で私を支えてくれていた清水さんが、趣味の山や旅行を楽しむため
6月にいよいよ完然にリタイヤすることになので、苦労や楽しみを共にした人達に会いに一緒に行こう
という事に成り、退職日ぎりぎりの訪問が実現しました。
ますは熊谷さん。私が60歳ごろ入社し傍でパソコン、哲学など全く無知の分野に至るまで教えてくれた
素適な紳士で、歩くときにス~と車道側にご自分の身をかえて保護してもらう事の心地良さを初めて
感じさせて頂いたり、経営的に採用・教育・人事、債権管理、裁判まで沢山の支援をして頂きました。
閑静なご自宅で、ご夫婦で植木草花果実まで丹精したり、海外旅行は行きつくし、近場の旅行と
地域社会でボランテイアをしたり充実したシニアライフを楽しまれていました、孫娘がなついていたので
次回は中学2年生になった孫娘を見て頂きに伺いたいとお話をして、おいとましました。
つぎは宮島さんやはり大変な時期に勤務頂き、バブルの最中、私が病気で弱っていた時に、本社の
社員がお客様に数人引き抜かれた時に、新卒で高卒社員を採用し教育をして頂きました。
助けて頂いて事が、今でも有難く感謝にしつくせません。最近までお好きな中国に旅行をして
語学を活かしておられたのが、足腰の調子が悪いそうでしたが、またカルチャースクールに通い
楽しみが出来るよう回復を願って、お暇してきました。
お顔はつやつやして、言葉もポンポン出て少しもお年は感じませんでした、お大事にしてください。
高橋浩さんは予約をしないで突然の訪問。ピンポンとインターホンを押して「はい」と出てきたゆかた姿
ビックリ仰天して着物を着換えて玄関へ。「どうしたのですかお揃いで」との問いに、清水さん退職の
事をお伝えして、予定でなく突然訪問したのは、道路で会社の車を見つけ止めて、以前コバヤシに勤務
していた事、清水さんはどうしているかと、社員に質問されたと聞いたので、それでは逢いに行こうと
話がまとまり訪問した事を告げました。浩さんもまた勤めていた時と何も変わらず、お顔はにこにこ、
頭はテカテカの笑顔で対応頂きました。
横浜支店勤務では、取扱い間もない住宅設備の商品の難解さを、きちんとマニアルにして頂き、若い
社員に教えて頂きました、碁がお好きでその時もパソコンでさしていたそうです。
「やーやー逢えて良かった」と感激の対面でした。
お昼を十日市場の回転すしで食べてから、午後から残る3人の訪問になる前に、すぐそばが横浜支店なので
立ち寄る事にした。お寿司を食べようかと誘ったら、気のりしない様子の清水さんが、食べたら「おいしいね」
と言うので「そうでしょう美味しいでしょう」と話すうちに、そうだ社員にも食べさせてあげたいと思いで
「美味しいからランチでも食べて」と軍資金を渡して午後の予定に移行。
京子さんは清水さんの奥さんのお姉さんで、カーテンの縫製をお願いしたり、事務職をして定年退職
をした方、コバヤシで仕事をして子供を育て上げられたと、とても感謝して貰ったのを覚えています。
そう思って頂けるのは経営者冥利に尽きます。先代社長が「京子さんは大変なんだよ苦労した人だよ」
と気にかけていたのを思い出します。勤めて頂いていた時より、お顔がきれいになっていました。
勤務中は子育てで大変な最中で、いまは子供は成長して、穏やかなシニアライフを楽しまれている様子で
良かったと思いで、お暇しました。
千鶴子さんは私が高校を出て昔の三井銀行に勤務した時の銀行の先輩でした。
寿退社して結婚してからコバヤシに勤めてもらい、出産で退社してから、ご主人の勤務で藤沢に転居し
た事を聞き藤沢支店に勤務して頂き定年までお勤め頂きました。心も体もおおらかで優しくて,先代の
社長夫婦のお気に入りでした。退職してからご主人の介護で大変そうに見えましたが、本人は苦にせず
子供達と共に協力して、明るい介護で充実していたとの事で,何よりの事でした。
今の千鶴子さんはの体重は不明ですが、とにかく太っていて、足越の負担が大きく、杖をついても歩行が
辛そうでしたが、あまり本人は気に掛けず痩せる努力をしている様子はなく、見ている方が心配です。
千鶴子さんも退職の時に子供を無事に育てられたのは、会社のお蔭ですと言ってくれました。いつまでも
私の心に嬉しさとして残っています。
変わらないのは話がポンポンと尽きることなく出る話題、笑顔の輪郭が何回りも大きくなっている以外は
気もちは昔の銀行員の時と変わらずでした。
本人は出歩けないので、私が時間が自由になる身分になったらまた尋ねるねと言ってお暇もしました。
淳子さんが最後の訪問。清水夫婦が退職してシニアライフを楽しむために戸建の不動産を売却して
新築マンショウンを昨年購入転居しており、その新居訪問も出来ていなかったんで、この期を逃しては
と訪問しました。8階の南向き、広いベランダで日当たり、風通し、眺望全て良し、夫婦2人で住むには
十分な設えで、夫婦寝室別で理想形、かつ奥さんの方が広い部屋を使用しているのは、どこの家庭も
同じ傾向でした。
結婚と同時に藤沢支店開設となり、会社の2階、6畳2間と6畳の台所で新婚生活がスタートしましました。
家賃が1万円でこの時お金が貯まったそうです。1万の社宅に住み自分のマンションは貸して家賃収入
があつたと思うので、さらに貯まったと記憶していますが。会社の配当金もあつたし、淳子さんの蓄財
才能の効用も大きかったとご主人は言っていました。
それから転居は5回か6回目で、良く働き、良く貯めて、よく楽しみ、充実した人生ですが、病気には
夫婦で何回も苦しめられながら今日の平和な生活を得ることができました。
本当に良かった、清水夫婦とのエピソードは沢山あつて簡単に語り尽くせないので、詳しくは別の期会
にしますが、本当に助け助けられて私は今をむかえています。こんな良い関係を過ごせたのは感動
物です。退職にあたり亡くなった先代夫婦の墓参りをしたいと、申し出てくれたので、涙がでました。
心が温かいので良い運を引き寄せるのです。二人とも趣味が沢山あるので、大いに楽しんでもらい
私が羨ましがって、引退したいと思わせる様に楽し便りを楽しみにしています。
送別会をという事で、内田藤沢支店長と小澤横浜課長も来てもらい、清水さん夫婦と4時間イタリアン
の料理に舌ずつみをしながら、昔話で盛り上がり10時半にお開きとなりました。
約1名が特別に声が高くて、他のお客さんが少なくて幸いでしたが、これは指導が必要です。
日頃繁忙を言い訳にコミニケーションを疎にした事が反省させられました。本当に楽しい会食でした。
年頭から願っていた恩人訪問が出来て、肩の荷がおりた気分で、満足感で一杯になりました。
全員血色も良く、頭と口は全く衰えず,在職中のなんらお変わりありませんでした。2名が杖を頼りに
されていたのが、お気の毒でしたが、少しでも痛みが癒えるようご自愛頂けるよう願っています。
皆さん立派なお住まいで、女性3人は子供や孫が毎週のように集まり食事をするそうで、それはそれはいい家族です。人柄良いから家族も幸いも集まるのだと、気持ち良い納得でした。7月20日に両親の法事があるのでたくさんいい報告が出来ますので、有難うございました。