なによりも公私ともに健康に恵まれて充実した一年が過ごせました。
72歳で仕事も、趣味も楽しく、意欲的に出来る事は、自分の努力もありますが、周囲の協力を貰いながら
継続し、また新しい分野にも挑戦し始める、気力が衰えないのがとても嬉しい事です。
私の両親は共に平均寿命で父83歳、母88歳で最後までボケなかったし、私は健康、食事を気使っているので
恐らく穴八幡の占師が云うように96歳までボケずに生きられれば、あと人生24年も生かされる訳ですから
目標を設定して、努力をしていきたいと考えています。
60歳の還暦の頃からでしょうか、仕事収め朝礼での挨拶は「今年も今迄で一番良い年でした」と挨拶しています。
良い年のレベルが毎年上がっているのです。今年はその挨拶が出来るか気をもみましたが、結果良い方向で決着し永年の懸案事項が、一気に解決し「結果良ければ全て良し」で苦しさは忘れ会社の実力が上がったのが喜びです。
2014年は20年振りに人で苦しみ、人で喜んだ年でした。そして教訓は「やれば出来る,何でも出来る、出来ない事は無い」それは経理が病気で休職して、誰も其の仕事を出来る人が居なくて、結局私が代行する事に成りました。経理の実務は、指示とチェックは自分がしますが、オペレーションからは遠さかっているので、自分が行う事など考えられない事でした。
しかしやれる人が居ない、一番可能性のあるのは自分なので、一晩考えて自分が引き受ける事を宣言した。
私と女性社員の2人で仕事を4週間で引継ぎをしたが、一度教わっただけでスムーズに出来る訳もなく、悪戦苦闘の連続、それと同時に中途採用の手配をして、経験者が入社する事となった。今度は教える作業となるが、確実に熟知してないので、暗中模索状態でしたが、3か月過ぎると覚えてもらい、肩の荷が降りるのに約半年近くを要した。20年ぶりの難事でした。
会社の全責任は社長に有ります、「出来ない」 という言葉は言えない立場です。
仕事人生54年困難な時に考えるのは、「人に出来る事は私にも出来る、出来ないことは無い」この精神でした。
これから会社を担う幹部は「ほかの会社に出来ない事でも、当社なら出来る」と云う精神で精進して貰いたいものです。
今年の様なアクシデントにもう1回対処するのは苦しいので、同じ危険は発生させない体制で運営するように
体質改善を急いで進行させています。
ホームページの社長の「あうん」を初めて2年半104回掲載しました。
月平均3.4回という事に成りますが正直重たい作業です。
と云うのは日々思う事が沢山あるのですが、記載する時間が作れないのが苦痛です。
あまり時間が空くと 「最近怠けている」 との冷やかしも入りますし、また掲載されると直ぐに反応があり喜びます。仕事に追われると、どうしても優先順位が後回しになり、追い込まれるわけです。
2015年はこれも仕事と考え、営業時間中に作業をする事にしたいと考えてます。
今までこれは仕事ではなく、趣味の一旦と考え休日に作成していたので、さらに縛りが出来て追い込まれる訳でした。そんな事で12月分をお正月に書いている訳で、なんとかこれで追い付いたので、2015年は営業時間で作成する。拙い内容で、誤字脱字もあり、恥かしい事ですが、何とか少しずつ改善して読みやすい文章にしたいと思います。何方が読んでおられるか解りませんが、宜しくお願い致します。