鷲神社は昔から開運、商売繁盛の神として尊崇され、神社の熊手御守りは「かっこめ」と呼ばれ、福をかっこむとの
縁起から江戸町民の人気を集め、現在でも200与店が出店し賑わっている。
神社の裏手は日本最大の歓楽境、かの有名な‘吉原‘が有り、吉原華かなりし頃は東京随一の人出の大市で、
11月の酉の市が立つと、江戸市民は「おとりさま」に詣でる事により、冬の訪れを感じ、冬支度を急いだそうです。
私のお酉さま詣では35年ほどになります。思いおこすとその年代の商売のありようが、映し出されていました。
創業者の親がお酉さまに行っていたのが、早くに病気で行けなくなり、私が代行で行くようになりました。
一番嫌だったのは,前年より一回り大きな熊手を買うのが縁起がよいとの事で、毎年大きくして行きました。
当然価格も高くなり、その金額交渉と、ご祝儀付の金額の妥当性を考えると、嫌で嫌でたまりませんでした。
2番目に嫌だったのは疲れた体で、夜間の外出でした。昔は11~12月の繁忙期に仕事が集中したものでした。
3番目に嫌だったのは帰りの酒宴でした。父親は下町気質で酒好きなので帰りにはお酒を飲むのが当たり前で、
同行した社員を連れて宴会三昧が通例でした。
今思うとその嫌な事を永年の内に全部解消して、この7年位は楽にお酉さまに行ける様になりました。
1番の難関だった価格を固定にしました。熊手のお面はセルロイドのおかめさんが主流だった時に、なんと木製の
一刀彫のおかめさんに出会い、これだと思い飛びつきました。そのお面を毎年熊手屋さんに送り返して、新しく飾り直し
をして貰いもう20年位、そのやり取りをしています。毎年周りの飾りが変わるので、写真にとり年賀状に使っています。
当社の年賀状に、そん経緯がある事を気付いている人は皆無だと思いますが、自分だけのこだわりで継続している
のは何時まで続けられか疑問ではありますが。
2番の難関であつた夜間の浅草行からは解放され、休日の明るいうちに行ける様になりました。
社員の運転をあてにしないで、この7年位は休日なら明るいうちに孫を連れて親子3代で行ける様に成ったが、
孫が大きくなり学校の予定が優先で,同行出来なくなり、今年は長男の専務とf二人きりで寂しく行きました。
3番目の嫌さの酒宴は、子供たちも家族の都合優先になるので、必要もなくなりました。
こんなふうに時代で、一つの行事の背景と事情が代わり、苦業ではなく、年中行事の一つとして消化できるる事を
嬉しく思います。
そんなに大変なら辞めれば良いとの選択もあつたが、これが止めれれないと考える心の縁起ものなのです。
今ではあんなに大変と思った出金も、世の中にお金を回す為と腑に落ちて気楽になりました。
そんな訳で、毎年通い続ける山口商店のスタッフもすっかり変わつた。名物の親父さんだけはかろうじて、体をかばい
ながら笑顔で元気を演じているが、手術後の体調と、商売繁盛が気掛りで、遠くから店先のスキンヘッド姿を探して、
お互いに顔を見掛ければ喚声を上げハグして、無事を喜び、互いを気つかい、また来年の再会を約してお別れ。
本社に置く一刀彫の熊手と、藤沢、横浜用の合計3本を前に、威勢よく手締めをして貰い、担いで帰る道中
行き交う人が熊手をみて「わーすごい」と振り返る様の、車までの道のりは、誇らしい快感を味わわせてくれる。
30年前の暗い、苦しい思いと格段の差は、中止していたら味わえない事で、何事も苦しくとも継続する。
そこに解決のための知恵が生まれる。
11月浅草お酉さま詣でのコバヤシの長い歴史の一幕です。