当社に7年間勤務し昭和50年、36歳で母親の介護の為帰省した、川原表具内装さんのお宅を訪問しました。
お互いに70歳を過ぎ、ガンを患いながらも元気に現役で仕事をしているが、いつ何が起きるか解らない歳頃なので
鹿児島からの 「遊びに来て下さい」 との熱烈コールと、沢山の努力が実り新築した屋敷を拝見する為に。また
東京での私には 「社長!足腰がしっかりして自分で動き回れる内に行った方が良いですよ」 との声に背中を押され
10年以上も懸案だった鹿児島行きを決断して、3か月前の8月に早割キップを手配して、鹿児島行きが実現しました。
今回の旅で沢山の事を見聞して感動しています。
昔話から現代に通じる人生訓のきらめきを4回シリーズで掲載します。
人の縁が繋がる ~ 人の2倍3倍働く ~ 稼ぎに付いてきて溜まるお金 ~ 人生の第4コーナーを幸わせに
その1 人の縁が繋がる
出発前日には仕事を山ほど方付ていざ出発、10時には鹿児島空港に到着。
出迎えてくれた川原さんはすっかり髪が白くなり、歩く姿は昔と同じだが、少し背中が丸くなったように思いました。
お迎えの車は川原内装表具店の表示がされ、ロゴマークも川をデザインして3色カラーでなかなかのセンスで感心しました。
挨拶が済み、一番で話が出たのは、「自分の入社のきっかけは何だか覚えていますか」、という事でした。
覚えていないので尋ねると社長のお腹に子供がいて、「子供が生まれて忙しいく大変になるので、手伝ってくれない」
とリクルートしたのはこの私だったそうです。
その一寸手伝ってが、なんと7年の間勤めて頂き、親の介護で帰省要請がなけれ、今頃東京に居付いた可能性も!!
その頃を思いおこせば、昭和50年ごろは壁紙の普及からカーテン,カーペットとトータルインテリア化の道が開かれて
襖業界からの大変革期で、商品知識・施工知識を普及させるために大変な繁忙期でした。
社内体制が追いつかずに、人手不足で艱難をきたし、人の顔さえ見れば何時でも,何処でも、誰にでも
「うちで働いてくれる人の心あたりはない」 と聞き歩いていました。
川原さんはその内一人で、他に芋屋の従妹には夏場のいもの商いの無い時期に、ママ友の息子には夏休み冬休みに
お得意さんの奥さんには経理をと、沢山の人を勧誘をして当社に勤めて頂き、仕事を繋いできた記憶が蘇りました。
川原さんには鹿児島垂水の親戚からゆきちゃん、と照子さん姉妹を連れてきてもらい、その照子さんは社員の小宮三郎
さんと結婚して、子供と孫に恵まれ、一回り年上の御主人は定年退職となりましたが、照子さんはまだまだ働けます。
川原さんが36歳で退社して36年経過した現在でも、良いお付き合いが継続しているのは、何よりも誠実な仕事振りと
優しい人柄の成せることと感じいります。