1月30日に負傷してから4/30日でようやく治療見込目安の3か月が経過した。
5/1日は週1回のリファビリ通院の日で、雨模様だが自分の足で歩いて2回目の通院をした。
経過は概ね順調との事でGW明けの次の通院日には、これからの治療方針が出され
コルセットを段階的に外し、歩行範囲も制限が解かれて行きそうな先生の説明がされた。
骨折回復は3ヶ月が一応の目安と聞いていたが4月後半になっても、左腰がしくしく、腰全体が鈍痛
右膝が腫れと痛みが改善しない、こんな状態で本当に3か月で良くなるのか、不安な日を過ごしていた。
ところが4月の末になると、2~3日痛みが出ない日があり、あれ良くなっていると思うと、
どんな理由か解らずにまた痛みが出る日があり、一進一退を繰り返しながら少しずつ、良くなる実感がした。
骨折からの不自由な身体は、寝起きの際の激痛、寝返りが出来ず、身体が固まった状態で寝て3時間位で
窮屈でめが覚める。トイレに行きベットに戻る事を2回ほど繰り返して夜明けを迎える。
これが改善して寝返りがいたみが出ないで出来るようになるまでには4月後半まで掛かった。
次に困ったのは身体を曲げてはいけない、曲がらない状況で出来ない事、禁止事項が多いのが不自由だった。
お風呂に入る際、衣服の脱ぎ着、物を床に落とした際拾えない。日常なら何の苦もない動作が出来ない。
入院中は看護婦さんが手を貸してくれ補佐してくれたり、してくれたりするので、待ちさえすればお願い出来た。
今回ほど身体不自由な個所があると、これほど生活に支障が多くなる事で身につまされた。
退院してからは誰もそばにいないので、不自由を補うために、補助道具を使う事をした。
家族に頼んでゴミ拾いで使う60cmトングを100均で購入してもらった。これが驚きの便利品で、
衣服の脱ぎ着、靴下をはいたり、床から物を拾ったり大活躍してくれた。
無理をしてはいけない、それが退院時の重要注意事項だったので、食事つくりの負担も掛けてはいけない。
そのためにお弁当を配達してもらつた。多くの種類から一番自分の向きそうな弁当を選択して注文した。
頑張って食べたが、2週間が限度だった。味も良くないし、飽きてしまい、配達を断った。
少し体調も改善傾向になつたので、材料を注文して配達してもらい簡単な食事を作って食べた。
自分好みの味で、出来たてを食べるので、やっぱり美味しい。
健康な時と違い、作る量は極力少なくして作業時間を省略して、身体に負担を掛けないようにした。
また時折友人が見舞いに手造りの美味しい総菜を届けてくれた、家庭の味が本当に美味しかった。
時折近所の弁当やさんから配達をしてもい、何とか1ヶ月を過ごす事が出来た。
まだ外を歩くことが出来ない事と、買い物をしても重くて持てないので、これから体力をつける必要がある
杖を突いて歩行距離を毎日少しずつ延ばして、傷みが出ないように、慎重に訓練が開始できる。
一生分の休暇を骨折の為3か月も取った事になる。
判断ミスで負傷をした自分の体は、年令よりは抜群の身体能力だと過信していた自分の思考を改める。
何と言っても81歳、間違いなく高齢者の仲間入りをしているので、これからは慎重に、ゆっくり行動して、
丈夫で長持ちさせるのだよと神の声として心に止めて行動をしたいと思います。
一般的に言われるように、高齢者は足腰から衰えるので、転ぶなと言われる事を理解と納得ができたので
私の負傷、治療の苦労を2度としないように自分自身に言ってきかせるのと共に、
周囲の高齢者の方や、その家族の参考になればと思います。