事業家の終活はどの様な事ことだろうか、最近色々の場合を考えるようになった。
一概には言えないが分類してみると
大手上場企業ではオーナー社長と、雇われ社長があると思うので、各々の会社、組織で終活は違うと思われる
中小零細企業でも後継者の有無、経営能力の有無で、終活時期と終活方法で色々なケースがある。
個人店主も後継者の有無、店主の年令,意欲、協力サポート体制の有無で、事業の寿命と存続が決まってくる。
わたしも事業家の端くれとして60年間事業に従事をしてきた。
商売を見聞きして身近に感じていたのは7歳位の子供の頃からなので60年ではなく、
75年間は生活の中に仕事があり、仕事の中に生活が有る特異な人生を過ごしてきている。
そんな私の仕事における終活は思いのほか困難な事でした。
75年間仕事漬けの生活に、これで仕事は終わりにして下さいと言われても、ハイ解りましたと100%身を
引き切り離すことが出来ずにましたが、後継者はずべて自分の思考と方法論でするから、意見を挟まないで
ときつく言います。これは親子という関係性のなかで遠慮のないやり取りになります。
そんな事もありましたが、今年初め骨折をして自宅療養、入院、自宅療養、リハビリ治療で体調を戻すのを
最優先にしていたら、驚くほど仕事に対する執着心が薄れていました。
これが不幸中の幸いで、療養中でも、新内、詩吟、ヨガ、ボイストレーニングと等々のお稽古で忙しく
楽しく過ごすうちこれが私のおこれからの余生だと思う様になりました。
怪我は痛くて苦しくて2度としたくないと云う思いで、行動は自然とゆっくりと、慎重になりました。
リハビリは継続して定期的に行っていますが、先生は近所で5分で行ける場所で治療を受けられます。
ヨガ、詩吟、ボイトレ、趣味のレッスンは先生が出張してくれます。
幸い近いという事と、私が骨折で動けなくても、レッスンをする気持ちがつよかったので、先生方は
訪問してくださることになり、これで私の回復は順調に来たのだと思います。
日頃の思想・活動といろいろな条件が重なり優遇された体制で日々を過ごしている間に、仕事への関心は
薄まってきました。これがけがの功名というものと、うれしく思っています。
心は静かになりましたが、長年の書類が大量にあります。
後継者は不要だから廃棄と言いますが、施策を実行してきた私は、そのときどきのの経緯記録を見て
一つ一つのこの行動の積み重ねがいまの会社の歴史で、堅固な土台が作られてので廃棄はしない。
いずれ何かの役に立つからと思うか思わないかは、それに携わってともに苦労してなし得てきた人しか
見ても解らない、感心も持たない様です、だから不要だから廃棄という図式になります。
書類も終活しすが、日頃きちんと整理整頓して有るので、保管場所確保と、廃棄処分日を決め
こうして5年~10年確保して置くスペースと、許容する相手の広い心が欲しいですね。
仕事で不要と言っても、他に必要要な事があります。データー分析の基礎資料です
また他に、税務関係の手續で相続税の計算や申告の妥当性を解説するには必要な書類も
沢山あります。
後継者は今だけ、自分だけの思考ではなく、今後他の人が必世になると言う広い考え方をしないと、
後で大きな障害が出るのだが、それを解ってもらいたいものですが。
終活は複雑ですが、死んだあと、ここまできちん出来ていて見事と言われるような後始末を
時間を掛けて命尽きる迄、元気で楽しみながら終活をして過ごしたいと思う今日この頃です。