30年前30歳の若さでリンパ線種の癌で亡くなった社員のご両親と、一緒に勤めていた妹さんを訪ね墓参りをする事
が出来ました。
昭和40年代当時は高卒、住込で社員を3~4人受け入れていました。母親が作る「同じ釜の飯」を一緒に食べ粗末
でしたが寮に住み、家族と同様に仕事をする、そんな時代でした。
その社員はとても頭の良い子で上京の主たる目的は、ギターリストを夢見て音楽学校に通う、その足がかりが
当社でした。しばらく通って頭と手が連動しないことでギターリストの道を断念して仕事に専念する事となりました。
20歳で発症し治療が成功し平穏な生活が10年弱続き、もう安心とどちらからともなく、「癌だったが助かったね」
と話題にした途端に再発を告白され、目の前が真っ暗になり谷底に突き落とされました。
20歳から再発までの間の仕事ぶりは、飛切り上等でした、営業・仕入はもとより、初めて手掛ける施工手配をお客様に
教えて頂き、試行錯誤しながらノウハウを取得、この事業は現在当社の大きな武器として成長してます。
事務をコンピューターに切り替えたのは昭和53年で業界の中でも先行で取り組んだ事です。その時は私に向かい
「あなたは困難な事を簡単にやってください」と平然と云うと人だと言ったのが今でも頭に残っています。
やはり大変難儀な事で、夜子供に食事を食べさせてから、又会社に戻り12時頃まで連日作業をしていました。
当時売上が4億位でしたが従来の手書きの請求書とパソコンの伝票・請求を平行稼働を1ヶ月させる作業を私と
実施したのだからとても困難でした。
オフコン化を早期に導入した理由は「売上が直ぐに2倍になる、その時では遅い、今しかない」との思いでした。
予測通り5年後に売り上げは倍の10億に成りました。コンピュター導入の成果で、利益管理、営業の成績評価が正確
に出来る様になりました。目的の一つである女子事務員さんの負担軽減にもつながりました。
会社の明暗を分ける業務改革が、業界の発展期前に出来たことが、現在の会社運営上大きな利点になつてます。
創業から多くの社員が長期短期のリレーで事業は継続されてきましたが、自分の職責で会社の存続に寄与し、
しっかりとその足跡を現在にまで残した優秀な人材の一人でした。