無色の世界から明かるい日差しに誘われて、色と香りのある世界へと
早朝散歩の帰り道、路地裏の塀越しに色が見え隠れする。
白い梅の小さな花弁、弱弱しいピンク花弁、椿の固いつぼみ、木蓮の大きな膨らみ
色と共に、かすかにほのかな香りもしている。
道端の玄関先には、ささやかな楽しみで丹精されているような鉢植えが色を添えている。
生活の中に、花の色香がとても大切に思われ、憩いになっているのだと、最近は実感する。
今迄は花に興味が無いと云うか、愛でる余裕がなかったと云うか、
花を買うのは墓参り用と仏壇に供えるだけの生活だった。
最近花束を頂く事が増えて花瓶に入れて、水を替えて、アレンジをしていて
この心地ち良さは今迄体験していない境地でハッとした。
普通の人が普通に生活の取り入れている事の楽しみを知らずに今日まで来たと云うか
避けてきたのが実情で、時間と心の余裕がなく、どちらかというと花を購入したり
鑑賞したり取り扱うのは面倒で嫌いという領域だった。
その思いを変えてくれたのが、心と時間の少しの余裕を持てるタイミングになったから
私は片寄った思考の生活を送ってきたのかと考えさせられる事が、この花事情と同様に
沢山あるのを自覚し始めている。
事業の先頭に立ってわき目もふらずに邁進するには、優先順位で会社を守り、家族を守る
それ以外は多くを望まないというか望めない環境であつた。
今80歳の岐路に立ち普通の人としての楽しさ、嬉しさ、豊かさを遠慮しないで受け取れる
そんな自分になり、これから残り人生17年(占い師にぼけずに生きると言われて信じて)
を今まで出来なかった自由な青春を謳歌したいっと、神妙に思う今日この頃です。
【もういいよ。今迄精一杯頑張ったんだから、80歳になったんだから】
許されると自分に云って聞かせて、顔がほころんでいる。
心の在り様が表情に出て、いい顔の年の取り方をしたいものです。
あんなに記事を書く事の期間が空いていたのに、何故か最近は毎日書くことが出来ている
時間と心の余裕が出来てきた事で、書けない理由が解消されているからだと思うのです。
書けば30分ぐらいで出来るようになり、着物の着付けなどとも同じで、億劫がらずに
遣らうより慣れろ。慣れればもっと感じて考えて書けるようになるでしょう。
こころが変ると色々の情報が手に入る、
{良い花やさんがあそこに有るよ} それでは中延に買いに行って見よう
{旧友がお花の先生をしているよ} それでは荏原に習いに行って見よう
{着物を楽し同好会があるよ} それでは銀座に覗きに行って見よう
新しい自分が誕生しそうです。欲張り過ぎて消化不良を起こさないように少しずつ。