夜明けが早くなり、日暮れは遅くなり、太陽の上がる方向も変り、日差しも強く感じるようになってきた。
視界が明るくなり、街には色が付いてきて、紅梅白梅がほのかに香り、水仙はか細いが地に踏ん張って咲いている。
休日の街には人が沢山出てきて、若者のカップル・年老いた夫婦・子供を連れた若い家族、
皆なゆったりと、にこやかに、思い思いの姿で街に道に急にあふれて来たように思う。
春がもうすぐ近く来ている。春は人の心もウキウキさせてくれる、一年でいちばんよい季節に思う。
すぐ其処ま来ていた春が足踏みをしているどころではなく、真冬に逆戻りをしているような寒さに見舞われている
雪に見舞われている地方は、想像を絶するような悪天候で、日々の生活、事業活動には多くの困難があると思います。
そう思うとまだまだ東京や周辺の首都圏は恵まれていて、なかなか自分事として痛みを感じない,他人事感は?!!
この寒さも後1週位の辛抱なのか、昔から誰が言ったか 暑さ寒さも彼岸まで と言われてきている。
一日24時間、ひと月30~31日、一年365日。すべての人に平等に与えられている時間です。
人により長いと感じる人、長いと感じる人。充実感を感じる人感じない人。
歓びも嬉しさも、苦しいか苦しくないかも、成果を沢山手にしたか、しないか。だれもが皆感じ方は違う。
ひとりの人間として、何を望み、どんな行動をして、結果どうなるかの総合的な答えは、その人が死んだ時に出るのか?
自分が死んだ時に出ても、解る自分でいるか、解らなくなってている自分がいるか なんの保証もされるものはない。
それなら一人の人生が終わった時、その人の総決算はどうなるのだろうか。
心身ともに健康体の時に歩いて来た道を振り返り、これから行く未来の道に思いはせて、書き残すことが大事に思う。
それをして置かないと、残された人たちは、亡き人を正しく理解できないのではなだろうか。
そう思うと準備を早くしてゆっくり、あせらずに楽しいんで、書き残してゆきたいと思い、実行をしよう。
そう考えるようになったのは、昨年から親しい人が次々と亡くなり、当然物云うその人とも会えない。
葬儀も家族葬で静かに送る時代だから、家族とも話が出来ない。
コロナをキッカケに葬送式が簡略化され為に、頂いたご恩をお話ししてお礼も言えない。
お花屋やお線香を贈り供えて頂いても何か空しさが残る。
親交のあつた故人を偲ぶ場面は人々が集って、ご家族の想いも、学校・地域・社会でどの様に活動してきたかの
情報を交流させて、懐かしみ、泣いて笑って泣いて、故人を偲びぶセレモニーも必要ではないかと思うこの頃です。
簡略されることで失われないように、故人の生きた証が人々の心残るように、遺族とは語り継いでゆくのが
せめてもの供養なのかと感傷的におもう彼岸の入りです。
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