小学校の裏の通学路で私の前を歩く二人の会話が耳に入った。
女児A「あの子の顔はいまいちだけど、性格が良いね」
女児B「そうね~性格いいよね~」
おもわず体が反応して、その子たちを追い越し、ななめ前に行き二人の顔を見た。
「良い話ね、性格が良い子なんだ」「いいとこに気が付いているね」と声を掛けた。
二人は顔を見合わせて、にっこり笑った。
「何年生?」と聞くと、「3年生」と答えが返ってきた。「そう3年生でもうそんなふうに
考えるんだ」と思いながら、「元気に勉強してね」と言ってから二人を追い抜いて、
とても嬉しい気もちになり顔がほころんでいるのが自分で解った。
翌日そのことを思い出して二人の顔が目に浮かんだ。ふっくらした輪郭でにこにこ笑顔は、
二人が云ういまいちと云う部類で、美人顔とは言えないけれど、とても愛くるしい可愛い子でした。
きのうの会話で二人は友達の事を褒めていたが、実は自分達も同じに性格が良いのを誇りに
していて、それを第3者を例にした発言だと言う事に気が付き、頷くことになったのです。
気が付いたことには理由が有り、私の脳裏に焼き付いた60年前の記憶がフラッシュバック
してきたからです。
それは私が中学1年生の頃と思いますが、やはり下校する時に下駄箱の近くで私が
「成績が1、2番で偉そうにしているのより、7、8番でも仲よく出来る方がいいよね」
と私が言ったら、「なによ、あんたが7、8番だからそう云うのでしょう」と痛い所を突かれ
恥かしい思いをした経験が、60年も経過したのに今でも頭の端に残っていたのです。
1、2番が取れない事の言い訳で、他に良い事が有るからと自分で正当化していて
それを見透かされた恥かしい自分と、的確に状況把握をした同級生とのやり取りが、
永い事私の性格を閉鎖的にして、暗い中学高校生活の基になった一因と思い出された。
又、何処かでその性格がかわる切っ掛けがあって、今の自分があると思われますが、
それが何で有ったか、今はまだ思い出せませんが、開放的な性格になって良かった。