2023年9月代表権を外し取締役会長になりました。
次男の小林徹也に社長業を交代し、実務的に経営を移譲してから3年経過しました。
社長は営業的部門では販売・仕入・配送・在庫管理。管理部門では、債権管理、人事を募集から待遇・労務管理、
経理部門では資金の流れの掌握から、会計処理まで経営全般に携わる期間となった。
大方解るようになり、本人も少し自信がついて来たろうし、様子を観ていた私にも安心感が出てきた。
やはり時間が解決する事にもなりますが、60年間のノウハウを引き継ぐのは苦労な事です。
その間社長は引継ぎつつ、業績を向上させて3年が経過し、上々な成果で62期の決算を締めくくってくれた。
25年前に私が長期目標で掲げた、3店舗、売上30億、社員数60人の陣容を見事に達成をしてくれた。
良い会社を創る、良い経営者になる、良い経営環境を作る無我夢中で、わき目もふらず、突進しました。
ここ迄が私の発想できる限界であり、81歳になるので丁度良いと云うか遅い位だが、滑り込みセーフの感が有る。
次の新しい経営者が率いる新し組織体制で事業展開を計る、絶好のタイミングになつた。
思い起こせば20歳から80歳までの60年、何処でも最長老になり、振り向いたら同年代の人はもう誰も携わっていない。
昔は今と違い、お金は毎月払わない、無理難題を頭上から罵声で、何という不条理な時代だったのかと思いだします。
どう考えても相手が悪い、世間が悪い、時代が悪い。
しかしこれに負けずに真に正しい事は何かを考え業界に発信し、微力ですが矯正力を発揮してきました。
毎月約定日に支払いをする、残さない、遅れない。こんな今は当たり前のことが出来ない時代でした。
75年の歴史の中で記録のある50年間での貸倒れ金額が何と1憶5千万円、130件に上りました
不良債権にはなりながら、回収した金額が2憶1千万、150件ありました。
相手に何とか支払いしてもらい、再生させたいという正義感もありました。
そのお金が回収できないと社員の苦労に対して、申し訳が立たないという責任感もありました。
夜掛け、朝駆けの回収行動も現在の様に規制されていませんでしたから、駆けずり回つた思い出も沢山あります。
日々の商売をしながら、なおも債権回収に飛び回ったのですから言葉では表現できないほど、大変な事でした。
か弱い女性が子供を育てながら何処に、そんな商いをする力があつたのかと思うと不思議です。
若いから出来たのか、無知だから出来たのか、負けるのが嫌だから出来たのか、路頭に迷わせられないから出来たのか
生まれながらの宿命と、やらざるを得ない運命と、支えてくれた幹部の助けで出来たのだとも思います。
今は支払いが無いとお取引が止まる仕組みになっています。それは時代の変化で、当たり前の事が当たり前になったのです。
私は今最後の仕事で沢山の資料をまとめています。その一環の作業でまとまった数値が上記債権回収のデーターです。
このデーターには当方原因、相手原因、回収有無の理由、これらを全部分析して、貸し倒れが発生しない取引のノウハウを皆で作成。
私はこれ迄の60年の長きにわる経営の出来毎を書面にまとめ、社史まがいの小冊子を作るのを、最後の仕事として参ります。
誰が読むか、役に立てるか否か解りませんが、自分で歩んできた道の節節での出来を記載します。
今は必要としなくても、経営の手引き的な効用はあると思います、商売の基本は不変ですので。
自己満足ではとの批判もあったりして、大仕事にもなりますが、私がやりたいので私はやります。
私は97歳までぼけずに生きられると穴八幡の名物占師に言われているのですが、残すところあと16年と時間が少ないので
これからは我慢しないで、自分の為に自分の時間を自由に使い、余生を楽しみたいと思う今日この頃です。
遅まきながらこれからが私の青春です。