早くも前線を離れ4年が経過し5年目になりました。ようやくその立場での身の置き方に違和感なくなりそうな気配がします。
子供のころの近所の子供と遊んだ記憶は全くありません。小学校での酷いじめの記憶は強烈に残っています。
そんな子供心に家業を見聞きしながら80年近くがたちました。
私の人生のスタートは家業を継ぐために敷かれたレールに乗せられて人生の折り返点40歳まで来ました。
それから残りの40年の半生は自分自身の意志で考え行動しようと決めたのです。
難儀な事ばかりが押し寄せましたが、自分で決めた道なので辛抱も工夫も忍耐力も出来ました。
岐路に立つ時の判断は厳しい道を選択しました。強くもなりました、優しさもついてきました。
厳しさを超えた先には、良い結果が待っていると思え、実際に良い成果を得ることが出来ました。
それを成功体験の好循環というのかも知れません。
気が付くと人生80年と考えていた期限が到来していました。2024年に腰の圧迫骨折のケガを負い
約1年間は骨折入院・治療・リハビリで、痛み苦痛との我慢比べの日々でした。
治療が終わつてほぼ日常生活を取り戻すと、今度は始業、就業の時間制約も無く、外部からの情報も少なくなり
経営を離れて、自分の役割がなくなり、心に穴が開くとはこうゆうことかとの、困惑の月日が経過しました。
日常の生産性のある頭脳労働が無い事の罪悪感というか虚無感というか、そんな気持で悶々としていました。
しかしよく考えれば、60年も経営をしてきて事業承継もできたので、私は今まで出来なかった私生活の充実
をすることに全力を掛けるのが、残る寿命を明るく、楽しく、嬉しく、自分だけでなく、周囲によろこばれる、
そんな役周りがでれば良いのではないかと割り切れる様になりました。
周囲はもう十分だよ。よく頑張ったよ。もういいよと云ってくれます。
『もういいかい~』 『もういいよ~』