2.セブンイレブン石川店へ ご挨拶
6月20日に開店した店舗は、コバヤシの旧駐車場の跡地を、セブンイレブンさんに借りていただき開店に至りました。
出店の縁を頂いたこと、社員がお弁当の購入で便利で喜んでいる事のお礼を伝えたく、オーナーに挨拶をしに伺いました。
藤沢で1店舗経営していて、石川店は2店舗目と云う事で、ご夫婦で熱心に経営をしておられる様子を伺い知ることができました。
当社の社員の食事だけでは幾何でもないので、ご近所の方、通りかかりのお客様が便利に活用していただき、早くに採算合うような
繁盛店になるように祈念しております。
オーナーの方も、パートの社員さんも感じの良い人でしたので、早くにフアン客が増えることと思います。
3.湘南台公園前の旧藤沢支店跡の建物のテナントにご挨拶
50年前に湘南台駅前に小田急の分譲地があると、お得意様から教えられ、藤沢で商売を本気でするなら、
出店し根を下ろさないと無理だよとアドバイスを受けて、小田急の分譲地60坪の抽選に応募しました。
家族全員と親戚の名前まで借りて申し込みをした。
1週間の募集期間の最終日に、どうしても心配で一人で電車で朝早く湘南台に行き、最後の申し込み券を入れた。
何とその札が当選して土地を手に入れることができたのです。
その最終日に行かなければ支店開設は出来なかったかもしれません。
土地は当選ししたが、会社には土地を買う資金も、その上に建築する資金もありませんでした。
私が35歳の時でした。私は高卒で銀行に1年務めてから、会社の設立後すぐに入社しました。
幸いにも私の親は衣食住ぜんぶ面倒を見てくれましたので、自分の給料は20年近く預金をしてました。
預金は下すものではない、下す必要もななかったので、残高は毎年増えました。その私個人のお金で土地を買い、
建物を建てました。会社にはお金がないので家賃は貰えなかったので会社への貸付金が長年たまりました。
その後商いが大きくなり、湘南台駅前道路におおきなトラックが何便も往来していたので、商店街から苦情が
来るようになりました。それで現在の石川に3倍の土地を購入し3階建ての建物を建築して移転しました。
これが藤沢出店時の経緯です。石川の広い場所での営業が功をそうすことになります。
そこで旧店舗を賃貸で貸し出して現在に至っています。何件もテナントが入れ替わり大家業も苦労が尽きませんでした。
2年半前に子供向けの体操教室が開設され、現在は170人の生徒さんがいて、選手として大会にでて優勝している
子供もいると云う事で、とても繁盛しています。
今の時代にあつたビジネスで親も子もありがたいことだと思います。私も社会性があり良いお仕事なので喜んでいます。
そのオーナーに2年半ぶりにご挨拶に伺うのが、今回の目的の3番目の所用でした。
4.藤沢のマンションに住む妹を見舞に
たった二人の姉妹で、両親も今は亡く、がんのご主人を看取つて3年経過し、今は一人で落ち着いて生活していたのだ。
しばらくぶりに電話をしたら、なんとすポーツジムで水泳を終えお風呂に入り、出たところで転倒して、頭・腰・肘を打つたが
検査結果は大事は無いとの事で3週間が経過していた。もう大丈夫との事だが、やはり様子を見たいと思い、湘南台から足を延ばした
少し静かな様子だったが2時間色々な話を聞いて、元気なので安心して、では又ねと手を振り退散した。
湘南台から藤沢行く、気力体力が続くかと?、心配したが余力があり無事に訪問することができた。
幾つかの所用が出来たので、どうせなら全部一緒に一日で終わらせられればいいなと思いながらの行脚っだったが、
無事つつがなく済ませ、一つ一つの点が繋がり線となり、また展開して面になりました。
この藤沢出店に始まり、長い歴史の経過で出来上がった。この関係性でなせた事がとても嬉しく感動的な一日でした。
妹も長年本店藤沢の商品連絡便をしてくれて、藤沢支店の営業にも大いに役立ってくれたことも忘れてはならないのです。
帰りは東海道線に乗り、昔の路線で1時間半かけて帰宅した。
60年間会社設立から私は携わってきました。
一長一短ではかなわないことが山のようにありました。
一山超え、また一山超え、超えても超えても果てしなく山は続きます。
今は大変見晴らしの良い山の中腹に立っています、
静かに雲上にいるようです。
もう私は昇りません、次世代の人たちが昇るのを見守るだけです。