新年も思うことがあれこれあり、思考行動形式が時代と心のあり方で、激変している事を感じた。
◎年賀状の往来が大きく減少した事です。
いろいろ世情が変つた事が原因ではあるが、年賀状は出さないでも用が足せるという事になりそうだ
・会社間は手数と効果のコストパフォーマンスを考えて
・何より年末の繁忙時期に年賀状作成の手間を掛けたくない
・年始に頂いた賀状への記録作成と返信作業が大変手間が掛かる
・年賀状に代わる連絡手段が電話、メール、ライン等で簡単に満たすことができる
・年賀状という儀式を重要と思わ無くなった
・やり取りしないでも失礼感がなくなった
・それらはコロナ禍で人々がしなくて良い事はしないで良しと考えるよになった
・高齢化でもう面倒な事はしないで良しの風潮になったという事もあるが
・高齢者の代筆していた人が、面倒でしたくないところ、賀状止めの風潮に便乗
・郵送料が上がった
これらの辞める理由を自分に言い聞かせ、私も発信を半分にした
自分だけではなく、相手お同じことを考えていたのであろう、出していない相手からの
賀状は数枚しか来なかった。これは見事な あうん の呼吸で、相手も同じおもいで居た結果です。
この結果年始の受信記録作成は3時間位でおわることが出来た
今年は夏過ぎには高齢の為という理由で、賀状仕舞いの葉書を送る予定にする。
残すのは若い時からのお付き合いで、遠方に居住している恩人だけに、無事に生きていますの
安否確認の意味でおだしすれば、作業は格段楽になる。
出すも良し、出さぬも良しの年賀状 これが年賀状への考え方になりました。
◎玄関に門松、お飾りをする家が少なくなってきた。
新年は各家、各会社、がピカピカに輝いていたが、今年は普段とは変わらず、特別綺麗とは思えなかった。
当社はお掃除は例年通り綺麗に磨いて仕事納めをしたが、門松はしなかった
車も洗車して、お飾りを付けて年始回りの準備を例年していたが、年末は洗車して車はピカピカにしていたが、
お飾りをつけることはしていない。
年末しつらえの用意は例年私が整えていたが、昨年骨折をして買い集めることが困難であつた事を言い訳にして
気にかける人も居ないし、非難する人も居ないので、高齢故にという事で、もう良いか~もいいよ~ と
自問自答して答えを出して止めてしまった。
◎中原街道銀杏の街路樹の落ち葉が全くない
例年 年年末年始の4~5日は銀杏の黄色い落ち葉が強風に煽られて国道から側道に一面埋め尽くして、
それはそれは年一度しか見れない珍しい風景だった。
年末年始会社は休みなので、掃除をすることが無いために、黄色いじゅうたんの上を歩く様でふかふかし
これも新年の風情として楽しみにしていたのでした。その黄色い光景は今年は無いのでした。
その理由は恐らく品川区がどこかの誰かの要請で、落ち葉がの掃除がたいへんなので、枝を伐採するようにという
依頼があつたのか、品川区の清掃車の効率を考えての事なのか、確認をしてないので不明いなのであるが
枝を全部落とされ、街路樹の幹だけにされた立姿は、骸骨がずらり並んでいるようで景観は芳しくない事でした。
◎家族の新年顔合わせ
我が家では5家族が集まり、年賀の宴を例年通り行った。もう60年以上継続してつずけている。
両親が元気なころから今日まで継続出来ているのは珍しい事だそうで、各家庭の女性陣が沢山の得意料理を持参
して、私も例年通り豚の角煮を3日掛かりでとろとろに煮て、お寿司も取って思い存分お腹いっぱいに楽しんで
貰えた。孫が社会人になり仕事の会話が成り立つ事と、小さな孫にお年玉を配る姿がほほえましい事でした。
各々自分の予定を調整して、岡山から、イギリスからと帰って来てくれている姿に、うれしく思うおばーちゃんです。
5人の孫が4人社会人となり、親の手をはなれて活躍してくれてる様子が何よりの私へのお年玉です。
昨年は骨折して痛い苦しい年でしたが、今年は怪我や病気に見舞われないように心掛けて、明るく楽しく過ごしたいと
願っています。
もうこれからは人の役にたつという事よりも、人に手数をかけないようにすることが大事な年齢だと観念しています。