2007年1月ホームページを新規開設してから5年が経過して、内容を変化している事業内容に合わせるため
2012年改訂することになった。
その時から社長コーナーであうんの記事を記載することになり、それから早くも12年経過してきた。
ビジネスの内容は営業先端を走る社員が担当するので、私の受け持ちはあうんの呼吸で緩く物事を発信する
内容にして、気張らず、途中で書くのが苦しくなったら何時でもやめていいんだよと、自分に言って聞かせて
スタートしたという記録が有った。それほど自信がなく苦手な分野であった。
当時は70歳の時でまだ実践で仕事をしていたので、思考し書く時間が取れないで随分プレッシャーも掛った。
どうしたら発想がでるか、何を感じて、どう表現するか、国語力のない身では苦痛の作業ではありました
コバヤシの経営者はどんな人で、どんな考えをしているかが見えるように、その結果この会社なら取引しても良いかな
この会社なら就職してみようかなと思えるか、求人と営業に少しでも役立てばと思っての事でした。
12年も継続出来たのは、読んでくださる人がいて、楽しんで笑う人が居て、元気か安否確認でみてる、更新怠けてるね、
と色々聞くにつけ、やめられない、、続けねければと、老骨にムチ打ち状態で懸命に書いて来た。
入院して治療中でも骨折ネタで記事は6回もUPしてきたが、ふと何時までつずけるのかな?これからどうするのかな?
そんな事を考えたので、今迄の経過を思い出そうと記事を少し読み返してみた。
12年で何本書いたか詳細はリストアップして、ひとつひとつみると涙を誘う内容もあり、1冊の本にもなりそうな量だ
私には、継続する、途中で放棄しない責任と性格がある。
60年間事業を前線で動かした来た
60年慰安旅行も継続してる
50年も昔からから若い社員を採用し続けてきた
40年前の1984年から2020年までインフォメーションという情報紙を36年間欠かさず発行してきた
38年前の1986年から経営計画を導入し継続している
全部景気が良くても悪くても欠かさず継続した来た事で、他にも数えきれないほど沢山してきた
振りかえり見れば、その継続力が微力の積み重ねが、弱者の私に力を付け、助けてくれたと思う。
高校を卒業して銀行に1年勤務しただけで、世間も知らず、経営の知識もなく、男社会で
ただひたすらこれが正しい道と考えて継続してしてきて今日にたどり着いてこれた。
怪我をしてからは 「もう良いよ、もう頑張らなくて」と言われます。
そうですね、周りから見ていて遮二無二に頑張ってみえたのですかね
頑張っているとかではなく、私はするしかない状態で、何かに背中をおされていたのでしょう
「髪振り乱して、鬼の形相で、仕方なかったよね、そうしないと成りゆかなかったものね」
と表現する優しいことばも頂いた。
だから、もう良いよ頑張らないでもといわれるのですが、
そうですねと私も理解して返事をするのですが
でも次から次へと課題が出てきて考えざるを得ないのですよ
恐らく誰しも死ぬまで思い煩う事はなくならないでしょう
でもその領域は着実に狭くなっています、
余生を色々と楽む時間が必要だからです
結果12年継続してきたあうんの記事を何時まで書くのか、
その意味はあるのか、可否をとう時期にきているとおもうこの頃です
今年初めに骨折をして、生活が一変た。
元気でゴルフもして、趣味も多く、活動的と自他ともに認めていたのは、何処の誰だったのでしょうか。
怪我をしてから半年たつのに、まだ普通には歩けない、ゆっくり歩くので今迄の倍の時間がかかる。
そろそろ、よたよた、足元が不安定でまさに老人そのものの姿形となってしまった。
とはいえ積極的に散歩、ラジヲ体操、ストレッチなどのリファビリを毎日自分で行いながら、
プロの先生の治療と指導を受けて、整体治療を5日に1回、ヨガ体操を週1回しているので
以前の状態には回復できると思いながらも、本当に回復出来るのかと不安な日々を過ごしてます。
先生方は焦らず、無理せず、ゆっくりとですよ、と皆さん同じ表現でアドバイスを下さいます。
それがわたしの欠点なのです、解りました、もう痛い思いはしたくないので必ず守ります。