81歳で本業の経営から引退する最終日に、書類の整理をしていて圧迫骨折をしたしまった。
骨折も深刻に考えていなくて1か月は自宅で安静にしていた。
安静と言われても、何もしないでおれないので,体を動かさないですむ軽作業をしていた。
その一環でアクセサリーを整理して、要らないものは処分をしていた。
数個の指輪が出てきた。若い頃で安価な物しか買えなかったが、最初に買ったのが親戚のデパート職員の
ノルマに義理で付き合い購入したのが50年も前の事だった。
その後自分で欲しくてようやく買ったダイヤは1カラットにも満たない一文字の指輪、
それに親が無理して買ってくれた真珠の指輪も出てきた。
どれもが昔のストーリを思い出しながら並べてみていた。
子供や孫にあげますと言っても誰も欲しいと手を上げる人は居ないと思う、それは今の時代には
デザインが古くて好まれない、かといって買い取り店で二束三文で売る気はしない。
それなら使えば良いのにと言うことになるが、私が指輪ををしない、ネイルをしない理由をあるからなのです。
その理由は指が人一倍皺だらけなのです。それには悲しい理由が有るのです。
20歳から家業に従事していて、経理から、倉庫での出荷や整理整頓、配達までしていたので
埃まみれ、手指の荒れ、そんな事を気に掛ける暇のない程、仕事と子育てから食事、掃除、洗濯あらゆることを
していて手指の手入れをしたことの経験はない。ハンドクリームを塗って保護した記憶もない。
また60年経っても忘れない心の傷は、結婚した相手から「色気のない手だな」と言われた事がトラウマになり
手に対してのコンプレックスもある。
こんな事情もあり、昔子育てで忙しい社員がマニキアをしたりピアスをつけたり、指輪をしたりしているのを見ると、
良く時間が有るな?と不思議でならなかったものです。
綺麗にすることが女性として当然のことで、何もしない自分の方が異常だったのです。
それとなく「女である事を忘れるなよ」と男性から言われる事がありました。その言葉は少し自分の身を綺麗に
してお洒落をしなさいよ、とのアドバイスだったのだろうと今は思い返すことが出来ます。
あと一つ指輪をしたり、制服以外の私服を着るのを父親が嫌ったのです。
私の行動に文句を言う人ではなかったが、それだけは印象に残っている。
そんな自分の事情と親の意向もあり指輪アクセサリーを付けないで過ごしてきた。
骨折治療で自宅にいるので、人と会う事もないので見る人も居ないから、そうだこの際指輪を付けてみようと
また夏なので指には皺も少ないし、家事も少ないので、酷い手には見えないので、毎日取り換えて付けてみた。
安物だけど自分に合った指輪なので、それなりに手をかざしてみても、歳相応で可笑しくないと自分で満足した。
可笑しくないのは解ったが、装飾品は自分の自己満足ではあるが、人が見て褒めてもらうのも歓びではないかと
想いに至った。しかし誰も見せる人も居ないし、褒めてくれる人も居ない。
それに加えて指輪をすると指が鬱陶しくて邪魔な気分がするのは、慣れていないからなのか。
こんな事で暇な時間をつかって指輪をしてみる事も止める事となった。
今時は誰でもしている、流行りというか普通にしているのマニキアもしない、
それは爪が呼吸が出来ないからと共に見せる人が居ない、高価でもったいない、趣味趣向に合わないので。
せめて爪先を整えクリームを塗って、多少でも綺麗に保つことをしてみよう。
そんな時間を持て余した故の行動の一環でした。
豚に真珠、猫に小判、皺の手にダイヤ 意味のない役立たずの話でした。