それは1月30日、自分の事務所を移転するので段ボール荷物の片付けをしていた時の事でした。
20個の段ボールを移動して最後の一番重い書類箱を移動した時の事でした。
バリバリと左腰で大きな音がして、激痛が走り体が崩れ落ち荷物を落とし、腰が砕けうつ伏せになり激痛に悶えた。
脂汗が出て(やってしまつた)と考えが一番に頭をよぎった。
痛みは治まらず、動けずに助けを求めたいが、3階の事務所には誰もいない。
痛みの合間にコンクリートの床を手のひらで叩き、下の事務所で気が付いてくれればと2回叩いても反応がない。
どうしようかこのまま痛みに何時まで耐えれば良いのかと不安になり、肘ではって会議室を通り、階段にたどり着いた。
大きな声は出ないが、「誰か来て~」と2階階段で人の気配を感じたタイミングで声を上げた。
女子社員が気つき上がって来て「どうしたんですか」と言ったので、「誰か助けに来てもらって」
と頼み、2人の男子営業社員が来てくれた。
抱きかかえましょうかと言ってくれたが、痛みにどの様に影響するか不安があり、床に毛布を敷いてそのうえに
うつ伏したまま、ひきずってもらい自宅までなんとか移動してもらった。
動けないので携帯電話を傍に置いてもらい、医者に電話した。
掛かり付けの病院に連絡してどうしたらよいでしょうかと状況を説明した。
12月から膝の痛みで通院しているのだが、痛み止めと湿布を使い
歩けるようになったらきて下さいとそっけない返事がその指示に従った。
自分ではギックリ腰だと思ったので、31日に中国人の整体にタクシーに乗って診察を受けに行った。
気が詰まっているだけだからもうすぐ直りますよと言われて、安心して帰宅した。しかしながら
1日に膝で通院している医者に行きレントゲン検査をうけると、何という事か、3番目の背骨が圧迫骨折していて
4.5も少し変形が有ると診断された。
圧迫骨折は高齢者なる事は聴いていたが、まさか日頃元気で動き回つている活動的な自分が、何で骨折なのか
医者の診断説明を聞きながら、何でそんなことが私の身に起きるのかと頭を巡らしていたら、
よく考えると1昨年11月に頚椎と腰椎の椎間板狭窄症 にヘルニアをあると診断を受けていたが、
その後何の障害もなく普通にゴルフも出来ていたので、加齢現象が体内で生きている事を忘れていた。
また重いものは若い人にお願いして、自分はしないようにすれば良かったのでがが、認識が甘かった。
そうか私も81歳は高齢者であることに気つき、理解と納得をしないとならない現実を突きつけられた。
治療法はコルセットを作るために採寸して、9日の出来上がり、それを装着し14日からリハビリ開始と告げられた。
怪我をしてから積極的な治療が出来るのに半月が経過している、骨折と診断されるまでの空白の3日間
今考えると、直ぐに救急車を呼んでいれば、当日に骨折の診断がされ、コルセットの手配も早く出来た筈
と考えると、自分が無知で勝手にギックリ腰と思った事が、初期段階の大失敗だと思うと共に、
今ある湿布薬をはり、痛み止めを飲んで、歩けるようになったら来院してと簡単に言った若いお医者さんも
不親切で適切ではなかったと思う。
そのように思うと自分も骨折と知識があれば、適切な処置が出来たのではないか、
悪条件が重なった事で、遠回りな治療になったのか、骨折は安静が一番の治療法とも言われるんで仕方ないのか
意外と日中は杖を突いて、ゆっくりなら歩くことが出来た。
ところが、夜ベットから起きる時に激痛が走る。ギャー痛いと叫ぶ事が5~6回、30分掛かつてようやく起きて
トイレに歩いてゆく。ベットに寝るのは大きな痛みは無いが、起きる時の激痛を考えると、トイレから戻っても
ベットに寝ないで、ガウンを着てベットに座り朝を待つ日もあつた。
9日にコルセットを装着して3日目から、起きるときの激痛は1/10になったが、少しずつ体位を動かしながら
痛まないように起きるのにはやはり30分は掛かる。
起きるのに30分、洋服を着るのに30分は掛かる。健常時はベットから出て、着替えて、ベットを整えて
3分も掛からないのに、そのスローな動きは正に老女そのもの姿で、我ながらすっかり老けてしまったと思われる。
怪我をしてから半月間、生産的な事が出来ないでいる、この気持ちの悪さ。いやそうではない。
今私がすることは安静にして骨が回復するのを待つ。これが生産的な事だと自分を慰め気持ちを静めている
幸いにも事務所の移動はほとんど出来上がり、仕事から戸締りまで全部移譲を終了した。
その翌日の怪我なので会社にも何の支障掛けていない。
一時は安静が必要で食事も作らない方が良いという事で、入院も考えたが空いている部屋が無く断念した。
家族には食材の買い物をお願するくらいで、食事は3食何とか自分で作り、洗濯も出来ている。
不幸中の幸いとも思った方が良いのではとも考える。
何でも出来るという過信は無くす、人に依存する覚悟と勇気を持つ、間違いなく高齢者である事の自覚をする
今までの人生で人に頼られても、頼らな自立した人生を送ってきたが、
この思考回路を絶たないと怪我や事故か又間違いがおきる、痛いのは自分持ち、痛みは嫌だ。
今迄は周囲の人たちの痛みの苦痛を聞いても人事で、本当の意味で共感していなかったが
自分の痛みを経験して、人の痛みを理解できる骨折事件でした。