健康が取り柄の私に異変が出てきたのが、酷暑の夏を何とか過ごした8月23日に転んだのが最初の兆候でした。
その後9月7日ゴルフコンペで40年間のゴルフ人生最高の86のスコアーをだしてコンペで優勝。
自分も周囲も歓喜の出来事でしたが、その夜から悲劇が始まりました。
右足臀部が痛くて歩けない、翌日からは右足親指が赤く腫れあがり歩けない。両足の激痛で歩行困難が3日続いた。
それなのに医者の診察は受けず、薬も飲まずに痛みを我慢しながら自然な回復を待つ事をした。
そこで収まる筈だったが、娘が整体治療士をしているので、親孝行の気持ちで毎週日曜日に施術をしてくれるが
施術の夜から眠れない程の痛みに襲われる、そんな事を3~4週繰り返し、毎週痛みにがまんの生活をしていた。
しかし、もう我慢が出来ないと娘の施術は自分の症状には合わないからと断った。
そうしたら枕が悪いのでないかと提案された枕を3日続けたら、又痛みがひどくなった。枕をするのもやめた。
それから半月、娘の痛い治療を断ったら、今度はカイロのソフトなやさしい先生が居るからと連れて行かれた。
施術はソフトだったが、夜中に激痛が走り、トイエに行くのも困難になってしまった。
こんなに痛いが続くのは我慢出来ないと、内科で痛風の治療をうける決断をし、痛みと腫れが引いてから投薬開始
となる。その際首を回すとスムーズでなく引っ掛かる感じが長引いていると話すと、直ぐMRI検査を手配してくれた。
その結果は頚椎椎間板狭窄症との診断が出て、コルセットとビタミン12の錠剤を処方された。
それからは体調不良でゴルフコンペは当然欠席、食事会もお断りをする羽目になってしまつた。
心配してお仲間が見舞いに来てくれ、整形外科専門医に見て貰わないと駄目だとアドバイスを受け翌日
北品川の志匠会に飛んで行った。即出た診断は首だけでなく腰の椎間板狭窄症とヘルニアで、右足の脱力と痛み
は首からではなく腰からきていると説明を受けた。
積極的治療はなく、してよい事は散歩とラジオ体操、ヨガ、控えた方が良いのはゴルフとの事
「だけど皆さんゴルフはしてますがね」と笑って居られた。1か月後また来院くださいとのことだった。
これが1週間前でそれからは足と首の痛みは出ないで何とか普通に生活が出来ている。
心理的にも原因が解り安心したのか諦めの境地なのかという現状です。
そこでぶじに落ち着けば、よかったで住むはずが、今度は右手親指の爪の脇が割れて痛い、そこを
はさみで削り、肌荒れ止めの乳液を沢山付けて手袋をして就寝したが、これが痛くて夜目が覚める
日々はれが酷く赤くなり、まるで痛風の足先のように、ズキンズキンと痛さが脈を打つ。
医者に行くと抗生物質と切開だとおもい、良い外科医も知らないので、我慢して日数の経過を待った。
痛みに対して強制的に薬で止めるのは好まずに、自分の免疫力で直してゆきたい方針なんので
ようやく13日からぶつけないように注意しながら右手親指を使えるようになってきた。
どう考えても80年間生きてきて、心身共に自分の能力以上の事をしてきたので、痛んで当然の経年変化と
自他共に受け入れ、それに合わせた生活に変えないとならないと、観念をする事となった。
年令とともに足腰の痛みで苦しんでいる人が沢山いる。
私は自分を律して、鍛えて健全な形でいれるように健康管理、健康維持には注力してきた。
だから人より老化現象は少ないとちょっと自慢気でいましたが、
なによりそれが良くない自信過剰だったのかと思われる。
今回の見た目には見えないところで、刻々と骨格に変化が出てきた事を黄色信号が付き始めたと解釈して、
程好い生活・活動を心かけたいと思います。
自分で痛みを体験しなければ、他人の本当の痛みは解らない。これが3か月にわたる痛みを経験した思いです。
今後回復すれえば有難いが、通常手術をしなけらば治らないと説明を受けたので、現状を維持して悪化させない
無理をしないで、安全な生活を心かける事が80歳からの輝いて人生を楽しむ秘訣と覚悟をする事となりました。
若い時、元気な時には考えられない様子になったのは歳相応で致し方がない、でも私は若々しくありたい。
そんな想いの今日この頃です、痛みと急ぎの作業が終わり、一段落したので あうん をかく事が出来ました。
やれやれ