ようやく年賀状の当選番号を調べて、300枚ほどの中から3等賞当選の切手セット3枚
を交換してきた。
常の事ですが年の暮れ、年賀状を書いて出す作業も大変だが、頂いた賀状の始末も
結構手間暇がかかる事です。でもその年賀状からの受ける取るメッセージからは
1年の生活が表現されている。
元気です、静かに生活してます、病気がちで、何とか生きています、介護をしています。
新し趣味を始めました等々悲喜こもごもで、良い余生を過ごされているな~、ガンガン
挑戦しているな~、嬉しい思いや、気掛りな思いが表れている。もう一度見直してみる。
これからが次のステップで、気がかりな人には訪問したり、メールや電話をしたり
連絡を取り合い、安心したり、無事を祈ったりが毎年の習わしになっている。
私がこうゆう事を繰り返すのは、人との繋りにまだ愛着を感じている証と思われる。
年齢的に考えると、面倒と思う人が出るのは当然で<賀状止めの一筆>が増えてくる。
良いですよ、無理をする年頃では無いので、思いの侭に気楽にすれば良いですよね。
そこで一句 【出すも良し、出さぬも良しの年賀状】の想いです。
それに引きかえ小さな子供の写真付きは、毎年の成長が見えて、ついほほが緩む。
反比例してその親たちの顔の顔が老けてきているのを見ると、あれ~マーと
年賀状、一年1回の現状報告で、無事を確認し合う、日本の良き風習は残したい、
但し儀礼的や惰性で出しているのは、相手もご迷惑だろうから、活動範囲の狭まりに
応じて今年限りでとの加筆も初めている。
名簿に住所、役職変更を記載して、一芸が光る賀状を残してファイルをして、他の
年賀状は紙にくるんでテープで止めて、廃棄処分をする。
嬉しい楽しい事は手数がかかる、それを苦にしないのが気持ちが若いとしておきたい。
これが年賀状の後始末です。棚の上のスペースが空きました。