買い物から帰り、沢山の郵便物の中から、黒枠のはがきが見えた。
正月早々何のことかと思えば、小林家の菩提寺戸越の行慶寺前住職が1月6日に遷化しましたと記載されていました
何でなの~12月29日にお会いして、新年になったらゆっくり話をしたいですねと、玄関先で立ち話でのご挨拶だったが、共に笑顔で別れたばかりなのに。
日頃から静かなご様子の方だが、すこし元気がないかと気には掛っていたが、なんとも急なお別れとなり、驚きと悲しさで行慶寺さんに飛んで行った。
1月4日夜脳溢血で救急搬送され6日の旅立ちという事で、ご本人もご家族も急なお別れになるとは考えてもいなかったので、さぞかし大変な事であったと推察いたしました。
行慶寺さんは50年前位からからお世話になっていたので,私の両親や私の会社でのなりふりをよく覚えておられました。
春・秋のお彼岸のご回向は自宅でお経を上げて頂いたが、普通の家庭は家族が揃って仏壇の前に座り、読経を聞くのが通例だと思うが我が家はそうでなかった。
定時に訪ねてこられると玄関が空いていて、仏壇に蠟燭とお線香が付いて、お布施が置いてあり、家人は誰もいないので、お経が終わるとお布施を頂いて玄関も空けた状態で失礼するのが常でしたト。
小林さんのおかーさんは仕事がひと段落したら、自宅に戻り、戸締りをしていたのでしょう
商売に一生懸命なご両親でしたね。と他の家ではありえないエピソードが笑い話でした。
私は両親が亡くなり、お墓を千葉の八柱霊園から、戸越の行慶寺さんへ移籍した。
近くなら毎月自転車や徒歩で、お参りが出来るという利便性と、住職のお人柄に魅かれて
の事でしたが、深いお話をするところまのお付き合いは、叶いませんでししたが、「初江さんは頑張つて今日まで来られましたね」と優しい言葉を掛けてくださいました。
もうそのお顔と、言葉は思い出の中にあるだけになってしまいました。
住職から生前に戒名を頂いておこうかとの考えていたのだが、それもお願い出来なかったので、もう戒名は付けず来世も俗名の小林初江で良いとの考えに切り替えました。
若住職さんはお婿さんで立派に引き継いではおられますが、やはり今時代の人なのでご苦労の経験が少ない時代に育っているでしょうから、これから荒波にもまれて修行をしないと、人々の心を掴み、有難いと思われる説法がお出来になるか気がかりで、それは彼岸毎の法話で感じられる。形は真似ても心掛けは実体験をしないと空論になり、ひとの心に届く法話はなかなか出来ないのではないかと老婆心で思うのです。
小林家ではコロナが収まれば父親と母親の法事も執り行う時期は過ぎているのだが、その際は前住職のお経と法話をお願いしたいと思っていたが、それもか叶わぬこととなりました。若住職に頑張ってもらわねばならないと思っています。
本堂に飾られた仏壇の遺影は法衣姿で、穏やかな滋味のある笑顔で額の中におられました。
お世話になり、有難うございました。
どうぞ冥福をお祈り申し上げます。