窓際で風に揺れるカーテンを眺める
夏が終わるとカーテンを洗濯をしたくなる。夏の間、窓を解放して汚れているようで
洗いたいのに時間が取れなくて出来ない。ようやく洗濯をして窓から入る風で乾かす。
時間がとれて洗濯して、風になびくその風情で、「あ~幸せ~」
針仕事が思う時にできる
襦袢の襟を掛け替え、ゴムの交換、アイロンがけ、そんな事が出来ないで、置いて
あると気がかりで、一気に仕上げて「あ~出来た~」
季節の洋服の入れ替えがスムーズ
子供が成長してからは自分ひとり分、さらに年老いてからは衣装の数も不要で
限られた着易い洋服だけなので更に減少、新しい物を欲しい気持ちも無くなり
また更に減少。
移動が少なく入替は短時間で簡単に終了。持たない幸せを感じて「うふ~」
日曜日のテレビを声を出して一人で笑いながら見る
昼ののど自慢、夕方の笑点を見逃さないようになってきた。
それだけ外出が減少した事にもなるが、以前親が楽しみに見ているのを??
なにが楽しいのかなと思っていたが、73歳にもなると、それが自分でも楽しい
のです。声を上げて笑えるのです。老いの域に入っているというか、日曜日
家で過ごすことが、もったいないと思わない様になった。普通の人と同じに
忙しくない休日を、幸せと陽だまりでにっこり。
新聞が毎日溜めないで読める
溜めこまないで毎日新聞が読める幸い。気忙しくつい最後になるのが新聞。
溜まった古い記事を見ることほど、面白くない行為はないが、仕事の参考記事
も有るので、破棄できないし。毎日、毎晩、その時に新聞を読めると安心する。
新聞を読めない脅迫観念から解放されて、新聞が溜まらない幸い。
孫と一緒に食べる夕食
「今日の夕飯どうするの」と孫に聞くと「ちょっと待ってね、ママに聞くから」と
5歳の孫。「決めていないって言ってるよ」「そう、じゃ~おばーちゃんが作ろうか」
と云う事で、いそいそと食事を作り、皆で「美味しいね、美味しいね」と食べる。
つい2~3か月ぐらい前までは、忙しくてそんな時間もないし、気持ちにも、
ならなかった時は、仕事人間で生活感欠落者と悲しい思いで居た。
最近は普通のおばーちゃんで休日を過ごせる幸いを満喫しています。
あうんの記事が書ける
私は一人です。出来る自分と出来ない自分がいる事の不思議。
この2か月どうしても書くことが出来ない、あれこれ思いはあるのに書けない。
心の障害物の正体は何か、自分でもよく解らない事ではあるが、今回は
休日効果だと思われる。頭と心が解きほぐされた事で再開できた。
重荷にしない為には、時間を空けない事も要因の一つと思い、実行する。
毎日の小さな事に嬉しさ、幸せ、楽しさを感じる事が出来る今を、本当に有難いと思う。
大変な事、困難な事は相も変わらず、多発しても、周囲の助けで自分一人で背負わない、
経験が解決策を持っている事で、大きな動揺はしない様にもなってきた。
老いたというのか、熟練というか、いずれにしても間違いなく、生き易くなっている。
この難しい時代に本当に有難い事です。