その老人は衣服、装備品が暮らし向きの良さを感じさせる人です。
路上生活者ではなく「半ベンチ生活の老人」と表現する訳は、時々自宅に帰り、ベンチ席にその人
はいなくなるからです。具合が悪くなり病院に担ぎこまれたのか、公園から退去申し出でがあり
移動したのか、気掛りになるのです。
そのベンチの人はもう5~6年前からお見受けしていて、最初はベンチ生活ではなかったと思います。
いつからか暑い夏の日も、寒い冬の日も、雨の日もベンチで過ごしています。
私は不思議に思う事を究明したいと思うようになっていました。
太極拳の朝練習の後、7時5分にベンチの前を通ると、その人はシャキンとしてベンチの前に立って
いました。私は思わず「お早うございます」と声を掛けたら、大きなハッキリしたお声で「お早うご
ざいます」と挨拶が帰ってきました。思わず「ヤッタ~、これできっかけが出来た」と通り過ぎました。
翌日は丸くなってベンチに座っていたので「おはようございます」と言っても聞こえない様子で
良く見ると耳にイヤホーンを付けているのが見えたので、もう一度「おはようございます」というと
気が付いてイヤホーンを外して挨拶を返してくれました。すこしうれしく、思わずニッコリ。
3日目は遠くからみると荷物は有るが本人がいない、どうしたのかとそばに行ってベンチを見ると
書置きがあり「明日戻ります、~と~の用事で留守にしますが」とありました。
居ないと心配する人がいるので、書き置いているのでしょう。
今朝はまだ寝袋に入って丸くなって就寝中だったので、お早うございますの挨拶が出来ませんでした。
半ベンチ生活と表現している訳は、自宅と公園のベンチの両方を住まいにしていると思うからです。
ベンチに座っている手足や顔を見ると、綺麗になっているので、お風呂にも入っているし、パソコン、携帯、
ラジオ、目覚し時計は荷物を覆う雨除けの傘に吊るされています。ベンチの脇にはほうきと塵取り、
夏は蚊取り線香、涼しくなってからは寝袋(この寝袋は去年は無かったと記憶しています)。
衣服、持ちもの、置きメモから想像するに、何で公園で半ベンチ生活をしているのか?
私は知りたい。そう思ってから2年くらすぎた今、切っ掛けを付けられたので、挨拶を重ねて
お話が出来る様になったら、長年の疑問で、一人の人の考え方を知りたい思いなのです。
人は何を考えて生きてゆくのか、何を避け、何を楽しみにしてゆくのか、不思議を解きたい と。
2015/10/23 7時05分今朝はもう起きていて、「お早うございます」に「お早うございます~」
少し余韻のあるはっきりした語尾でした。