お父さんの寅男さんは日本生命の支社長を9か所も歴任し、高い成績を残してこられました。
その経験から経営の参考になる言葉がポンポン出て、酔っていながら記録を取るのはとても難儀でしたが、
その一例は 「部下の能力を引き出すのリーダーの仕事、それを出来るのは一番良い仕事」 と云われて、人との
コミニケーションを取る事は大変得意な分野で有ったようです。
亡くなる前の息子堂野君の終盤の言葉は部下の指導に悩み「自分は何でも仕事は上手く出来るが、一番難しく
出来ていないのは人を育てる事、これだけは口惜しいが出来ない」と云っていたのが今でも鮮明に頭に残って
います。悩んでいた頃お父さんと教育問答が出来、さぞかし悩みが解けたでしょうにと。
仏門の教えにも言及され、御文章 白骨の章 無情の風 今日とも知らず明日は知らず、風が吹いても消えぬ体、健康
が大切と、若くして世を去った息子のはかない命、世の無常と重ね自分の心を修めておられるご様子でした。
何か気を付けている健康法は有りますかと私に問いつつ、ご自分で 「社長さんは太極拳や趣味を沢山やられているの
が健康法ですね」 とホームページで事前調査が終えているので回答もご自身でされていました。
昭和53年に最初に導入したコンピュターは5年程で新機種に切り替えの為不要となり、福井のおとーさん堂野寅男さん
に送り、長期間使用していた時の話題となり、そんな昔にオフコンを教える息子と教わる父親はとんでもなく優秀な親子
だつた訳でした。若い死はもったいない、しかし世は無情でままならない事ばかり。またお母さんがしみじみとした口調で
「死んだらあかんで~の~」と
話題は「営業とは」の編となり、お客様には至れり尽くせりして、口コミと訪問が大切であること、馴れない内は訪問
を苦しみと思い避ける傾向が何時の時代でもあるが、お客様の「断り」は挨拶言葉と思い 「度々生情」 たびたび
訪問すればそこで情が湧き、熱意が通じれば、めでたく契約になり長いお付き合いが開始される」と日本生命の
支社長を9か所も歴任し好成績を上げてきた手法は、お客様には 「馴染む、溶け込む」、社員には 「言葉は優しく、
管理は厳しく」 で良いコミニケーションを取り運営をしていたそうです。
なんとこのお父さん堂野寅男さんは御年88歳です。
健康の秘訣に話題が移り、お父さんはヨーグルトを毎日、野菜はインターネットで種を購入し自分の畑で収穫して食べ、
お母さんと仲良く生活し、頭も体も元気で長寿記録を作ると満面の笑顔で豪快に笑う姿は、実現する自信を感じました。
今回が最後の面会と内心思っての訪問でしたが、この調子ならもう1~2回は大丈夫かと思える楽しい福井訪問でした。