武生の駅に妹の昌子さんが迎えに出ますと電話で聞いていたのが、改札口から満面の笑顔でホームを覗き込む顔は
「マ~おとうさん」見間違う程スリムなお顔とスタイルになり随分と若返っていたのにまずはビックリ。
「社長さんもお変わりなくお元気そうなお顔で」「マ~昌子さん変わらないね、すこしふっくらしたね」と
永年のご無沙汰の壁も無く、感激の挨拶もそこそこに、車に乗り込み満開の桜街道を「きれい~綺麗~」とご自宅
え向い,堂野家に到着、玄関ではおかーさんのいえさんが変わらぬ可愛い笑顔で迎えて下さいました。
まずは皆元気で良かった。なによりそれが気掛りでしたが、元気で日焼けしたお顔が、自家用の野菜つくりに
精を出しているのが偲ばれました。早速仏壇にお参りし遺影を見かけないので床のを覗くとなんと30歳のままの
顔と面会、思わず 「いつまでも若いね」 と笑って声を掛けている自分が、30年と云う時間の経過しても尚
写真を見ると一緒に仕事をしていた頃の気持ちがよみがえり、懐かしくもあり悲しくもあり複雑な思いでした。
生きていたならもう60歳の還暦間近で、どんな家庭をもち、どんな仕事で活躍しているかねと,亡くなった子の
歳を数えては「死んでもうたらあかんでの~」と云うお母さんの言葉に、まだまだ悲しみが癒えず胸が痛みます。
お昼は親戚筋にあたる料理屋さんの地元料理を 「孫作」 さんで御馳走になりながらゆっくりと昔話に花が咲き
お父さんが裏山で摘んで持ち込んだ「たらの芽」を天ぷらにしてもらい、私が来るのでと親戚が下さったうどや
ふきみそお母さんが煮てくれた御馳走を大変おいしく頂き、帰りにはタッパ容器に入れて頂き、お土産で持ち帰り
今でもまだ毎日食べています。
運転する昌子さん以外はビールや地元のお酒「寿喜娘の八段仕込み」を頂き、すっかりと好い気分になり、お互いに
口の回転が更に滑らかになり、「コバヤシさんのホームページは隅から隅までぜ~んぶ読みましたよ、経営理念から
事業形態、取引先の名前、新卒の給与、社長さんの書いてるあうんもぜーんぶ読みました」と云われ、すべてに
関心を持ち深く読み、理解し記憶する事に本当に驚きました。こんな人は見たことない!!
何でも究めるのがお好きなかたでクックパットで紹介された黒にんにくを炊飯器で自分で作る事に今にも挑戦を
する気配でした。
私が心の整理をするために薬師寺の僧侶大谷徹奘さんの毎月東京別院で法話を2年ほど聞いていた話をする
とお父さんも、春と秋に開催される地元の仏具やさんのイベントに大谷徹奘さんが来られるので毎回欠かさず
聞いていて、心に響く良い法話ですね」とをこれもまた同じ縁が繫がりました。