花物語3-1

立派な胡蝶蘭を頂いた。
同業者先輩であり、お父さんの様な大事な方に、私が書いた【コバヤシの歩み】という小冊子を、
どうしても見て頂きたくお送りした。
すぐにその方のお名前で立派な胡蝶蘭が届いた、しまった気を遣わせてしまったと申し訳ない
気持ちになり、すぐにお礼の為に電話を入れた。
1年前と比べると、声の張りは少し弱くなったように思えたが、いつもの調子で
「はっちゃん良かったね、よく今まで頑張ってきて良くやったよ。同業者のあそこもここも
無くなったのに、立派にここまでやってきて偉かったね」とおほめ言葉を掛けてくれた。
業界で昔、父親が親しくして頂いて、仕事に遊びに手ほどきを受けた恩人です。
95歳になられ2年前の骨折が原因で石神井の施設に入所していた。
その施設を最初に訪ねた時の言葉が胸に刺さって、今でも思い出すと涙がにじんできます。
その言葉は施設に入る事を自分で自分自身に言って聞かせて腑に落とすための言葉の様でした。
「事業はみんな自分で創ってきたんだよ、全部だよ。だけど怪我をして足が不自由になり、
一人で家に居れないから、ここに来るしか仕方ないんだよ、解っているんだよ。
解ってはいるんだけどね~」目の前では笑顔で聞いていたが、帰りの車中で泣けて、泣けて、
その言葉は今でもずっと私の胸に焼き付いて離れない。
怪我をする前は93歳ほどまで会社の3階にお住まいで、一日中会社の商いを感じ業績の数値を見て、
社員と話をしたり、仕入先がご機嫌伺いに立ち寄ったり、ビジネス感覚に衰えを見せず、
業界の最長老で生き字引の様な矍鑠とした方であった。
私がいずれわが身と思うには20年早いのだが、衰えて一人で身の回りの事ができないで
生きるのはつらいことが容易に想像できる。
ぴんぴんころりを願う切実さが、私も解る年頃になってしまった。
10月になって涼しくなったら、顔を見に行きますと約束したのに、待ってはくれず9月17日に
お亡くなりになってしまった。
年齢的には長寿でした。奥様の待つあの世にもうたどり着いたのかしら、
亡くなる5日ほど前に、親の形見で保管していたその方の若い結婚式の写真に
私の書いた手紙を添えて郵送したのは、元気で見てくださったと遺族に聴いて少しは気持ちが届いた
かと悲しさの中にも安堵している今日この頃となる。